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読み書き

読んだものについての覚書

『野分』(インクナブラPD)夏目漱石

坊っちゃん」に理智をくわえて世渡りを試みる大人にしたような道也先生に始まり、かつてその生徒だった貧乏書生の高柳君、富裕なその友人の中野君、あるいは道也先生や中野君の細君をも交えて話は進む。

世間を席巻する「金」の道理に対する率直すぎる反感や、それに抗するべくしての教養主義に、現在となっては共感なんてあり得ないとしても、疎外される自意識の話としてならなんの違和感もない。ただ、現在のそんな自意識には、よって立つべき教養主義というよすがもなく、自閉してひきこもる為の「檻」があれこれと(それもまた「金」の道理により)用意されているだけだろうとは思う。またここでの疎外される自意識や教養主義の話は、飽くまで細君や下女といった家庭内労働者の存在あって生息し得る話でもある。

漱石の筆舌は、この作品では少しまどろっこしい。言わんとすることに書き物が引きずられている感あり。それでも、章末に映像的なアクセントを描き加えたりするあたりは小説的。自意識を語りつつ自意識に溺れない。

「金」は本来的に「天下の回りもの」、受け渡されてこその「金」。友人中野君とその細君の善意の「百円」が、高柳君から道也先生にめぐりめぐる。そのことにより物が購われるというよりは、心が救われる。(何某かの交換の代価ではなく、素朴な無償の贈与だからこそ。)