読み書き

読んだものについての覚書

『小津安二郎先生の思い出』(朝日新聞社)笠智衆

記者の聞き取りから起された文章とのことだが、どうしてもあの独特のイントネーションが文章の向こうから聴こえてくるような感じがしてしまう。

謙遜する人柄とは言え、やはり九州男児という感じで、朴訥な中にも最低限の「男」としての矜持は忘れないような頑健さがあるように思える。年齢で言えばただ一つ違いの小津安二郎をそれでも終生「先生」と呼び続けたのも、むしろリスペクトすべき人物を何があってもリスペクトし続ける男らしい律義の発露であったのじゃないか。

題からして「小津安二郎」ありきの半自伝。その映画の定番俳優の眼から見た小津の演出。一言で言えば、小津には頭の中に完全に画面のイメージがあったということ。自分で仕種や台詞をして見せることは少なかったとは言え、実際にしてみせれば完璧にそれを実演できてしまうのは、イメージが完全に描けていたからなのだろうし、それが描けるのは画面という映画の枠組を確実に被写体との関係で捉えていたからだろう。笠智衆が役者として自然な演技をしようとしても、それを敢えてとどめて「構図のほうが大事」と言ってのけてしまうのは、その表れ。

しかしその小津が、『晩春』のラストシーンには「嗚咽」ならぬ「慟哭」の演技を笠智衆に要求したという話は、小津が撮っていたのはそれでもやはり実写の映画であり人間だったという、当たり前と言えば当たり前のことを思わせる。そしてまた、そこで笠智衆がそれを珍しく拒んだという話も、実写の映画ならではの、ささやかなものであれ"ドラマ"であるように思える。そのことを回想する笠智衆が、そのころの「先生」には何かあったのでしょうかと呟くことも、またその"ドラマ"に陰影の一筋を刻むことになる。

小津独特のローポジションのキャメラについては、少なくともそれが「自然」な演技をひき出すようなものではなかったと語る。「心の中を見透かされているようで落ち着かなかった」とさえ。なぜそうでなくてはならないのかという問いには小津は答えなかったのだろうが、恐らくは小津自身はっきりした答えはもっていなかったのかも知れないし、それでいいと思っていたのじゃないか。なぜなら、画面そのものが即ち答えだから。画面そのものでそれを見てそれがいいと感じられるのなら、それが即ち答えだから。また余話的にサイレント時代の挿話もあるが、セリフが字幕で表現される為に役者の中にはごく適当な文句を口にして話す演技だけする人もいたとかで、だとするとそこにはサイレント時代の映画が非心理的な映像主義(と取り敢えず言っておく)であり得たことの条件が垣間見えもする。

昔日の撮影所隆盛の時代、監督は雲のうえの人という感覚が生きていたころだからこそ、小津のような峻厳な才能も活かされ得たのかも知れず。現在同様に映画を撮ろうとしたって、ありとあらゆるものが許容してはくれない(たとえ小津のような画面の真似事は出来ても、それに小津そのもののような魂を込めることは出来まい)。と共に、笠智衆にとっての「先生」がその奥さんにとっては「オッチャン」であったような、そんな鷹揚もまた昔日の感覚でこそあって、全ては時間の堆積と共に神話的な「歴史」の中に埋没していってしまう。

笠智衆が亡き小津安二郎にこの本の中で手向ける、ご結婚なさったほうが良かったんじゃないでしょうか、という一言は、言葉の響き通りにしみじみしたものはある。歴史にはしかし、見えざる可能性が胚胎され続ける。